濡れるファンタジー
会話の中で「筋肉フェチ」「太腿フェチ」などと、「〇〇フェチ」を自称することがよくありますが、大体は、それにとても惹かれる、こだわりがあるという程度のものです。
しかし相談に来る方のフェチは、「それにしか興味がない」というものです。
相談事例としては少ないのですが、「濡れフェチ」の方がいます。
俗に「ウェット&メッシー」と言われており、濡れているものや何らかの物質で汚されたり覆われたりしている状況に興奮するという嗜好です。
相談が少ないため、以前私は「濡れて透けている衣服に興奮する」ということかと考えていました。
しかしそれなら一般的な嗜好の人でも興奮するでしょう。
雨に濡れたりプールに落ちたりした女子の体操服から下着が透けて見える、といった設定は昔からよく漫画やアニメで描かれてきました。
しかし濡れた衣服のように裸を連想させるものではなく、単に「濡れている事物」だけに性欲が喚起されるのが「濡れフェチ」なのです。
性癖に悩んではいないけれど…
今思い返すと、Tさん(33歳男性)にしたアドバイスは的外れだったかもしれないと思うのですが、こんなご相談がありました。
(以下は複数の事例を組み合わせて創作した内容になっています)
Tさんは周囲のプレッシャーもあって結婚相談所に登録し複数の女性とデートを重ねています。
しかし全く相手に関心が持てず、どうしても性行為をする想像ができないため、このまま婚活を続けていいのかと不安になり相談に来ました。
私が「濡れている状態の何に惹かれるのでしょうか?例えば透けて見える裸とか?」
とありきたりの質問をしてしまったところ、
「いやそういうことではなくて。セックスや女性の身体とは関係ないんです。恋愛感情もこれまで持ったことはないし」
とのことでした。また、
「最初に言っておきますが、僕は自分の性癖そのものに悩んでいるのではないんです。自分はおかしいのではないかとか、それを何とか変えたいとは思っていません」
ときっぱりと言っていました。
彼が来談したのは、”性欲を感じないまま結婚してもいいものか”ということと、”自分と同じ性癖を持っている女性と出会えれば、セックスができるものだろうか”ということを聞きたかったからでした。
愛情も欲求もない相手と結婚することは可能ではあるでしょう。
好きなファンタジーを脳内で繰り広げて、興奮状態を作りだした上でセックスすることもできるかもしれません。しかし義務感だけでする行為はいずれ苦痛になって来るし、何より結婚相手の方を不幸にしてしまうのではないでしょうか。
親を喜ばせたい気持ちや世間体だけで、性愛の欲求を感じない相手と暮らし続けることは難しいと私は思います。
では”同好の士”との出会いの場を探すのはどうでしょうか。
これは試してみる価値があると思います。
ネット検索すれば、同じ嗜好を持つ者のサークルをいくつも見つけることができます。
そこで、まずはどれかに参加してみたらどうかと勧めましたが、
「他人とこの性癖について話したり分かち合いたいと思ったことがないので…。参加すること自体が億劫になってしまうんですよね」
と消極的なままでした。
性嗜好の対象は様々
Tさんの性的ファンタジーは他者に向かわず、あくまで自分の脳内で楽しむものでした。
その嗜好自体には引け目がなく、同じ妄想を持っている人を見つけて安心したいと思っていません。またそれをオカズに他者と性行為をしたいという欲求も全くないのです。
Tさんが自分の妄想内容を語ろうとしなかったので、それがどんなものか私にはわかりませんでした。
その性嗜好が犯罪行為となる恐れのある場合は、どんな欲求があるのか、どんな行動を起こしそうになるのかなど、立ち入った質問をします。
しかしそれ以外であれば、自ら語ろうとしないクライエントに妄想内容の詳細を聞くことはあまりしません。セクシュアルファンタジーはごく個人的なもので、大切に守りたい秘密であると思うからです。
後から調べてみて、ひとくちに濡れフェチと言っても、シャワーヘッドから噴き出す水を浴びたいとか、水鉄砲を噴射したい、ヨーヨーを誰かにぶつけたいなど、様々なシチュエーションに細分化されていることを知りました。
また朝井リョウ氏の「正欲」という小説はこの性嗜好を題材としており、大変参考になりました。
小説の中では、理解し合える仲間を見つけることで孤独と絶望から抜け出そうともがく若者の姿が描かれています。
小説の登場人物のように”普通の人”と違うことに悩んでいるのであれば、果たしてその嗜好しかダメなのか、あるいは周辺領域に興味関心を広げていくことが可能なのか、などを一緒に検討していくことになります。
しかしTさんは自分の嗜好自体を受け入れていたので、カウンセリングの焦点は嗜好内容ではなく、感情を抱けない相手と結婚することの是非といった一般論に終わってしまいました。
これまで私は、何らかのフェチを持つ人は、同じ嗜好のパートナーと出会えれば解決するのではないかと漠然と考えていたのですが、欲求を感じる対象が人間ではなくあくまで「物」や「現象」の場合、誰かと連携したいという気持ちも薄いのだということに気づきました。
カウンセリングとしては建設的な提案ができず、難しかったなと感じたケースでした。